京都の小学校の歴史を紐解く
京都市内は、観光客の増加によって住民の生活の質に悪影響が生じる「オーバーツーリズム」が社会問題になっている。かつては紅葉やお祭りなど一部の季節で混雑が生じていたが、今はそれが1年中続いている。混雑によって移動しにくくなるといった利便性の低下だけでなく、ホテルや民泊、別荘などの開発によって地価が高騰し、子育て世代が市内から郊外へ住み替えを行なう流れが加速している。こういった現象は京都だけでなく、パリやロンドンといったヨーロッパの観光都市でも起きている。そうした状況の中で進行中の小学校跡地のホテル開発に関わることになり、私は、プロジェクトの将来を考えるためにはまずその背景となる「京都の小学校の歴史」を知らなければならないと考え、フィールドワークや文献調査を始めた。
時は室町時代、応仁の乱で荒れ果てた京都のまちづくりを進めたのは、商人をはじめとする地元衆。武家や公家の内乱で荒れた京都を建て直したのは自分たち自身なのだという自負があり、京都の「自治」のマインドはここから始まったと言われる。江戸時代以降は、古都として観光の対象となり賑わいを見せたが、明治に入って天皇が東京に移ると、京都の政治力・経済力は低下してしまう。そうした状況に危機感を感じた京都の地元衆は、地域の近代化を進めようと苦心し、全国に先駆けて地域ごとにお金を出し合い小学校を作った。全国の多くの学校が行政主導で作られたのに対して、京都の小学校は地元に人たちが主導して設立された、という点が大きな特徴で、小学校の建物は消防団や公民館など地域のための施設を兼ねていることが多く、子どもの減少によって学校自体が廃校となっても、小学校は地域の持ち物、という考え方がある。
こうした文脈を踏まえたとき、そこに新しく建てられるホテルはどのような形になるべきか、地域とどのような関わりを持つべきか、開業前・開業後にどんな取り組みをしていくべきかを検討し、方向性を提示した。ホテルのオープンは数年後。これから先の展開が楽しみだし、気がかりだ。