デザインの仕事
2009 - 2012

エスノグラフィ

広告会社に就職し、広告のイロハを学びつつ深夜も休日も馬車馬のように働いて4年が経った。研究開発部門に異動となった私は「エスノグラフィ」をテーマに研究を始めた。エスノグラフィは日本語では「民族誌学」と訳される。研究対象とする民族がどのような社会を構成し、どうやって暮らしているかを記録する学問領域である。古くはマルコポーロの「東方見聞録」のように、ヨーロッパから離れた地域の暮らしの様子を紹介する旅行記、という形態をとることが多かった。やがて西ヨーロッパ諸国による植民地支配が始まると、より効果的な統治を行うために支配地域の社会研究が盛んになり、未開の土地に長期間住み込み観察してレポートする「文化人類学」としての研究が数多く行われるようになったが、近年では政治経済の仕組みやサブカルチャーなどを研究対象とした、自国の社会分析を行う際の手法としても用いられている。

私は大学時代に文化人類学を学び、アフリカのジンバブエや、愛知県佐久島などで長期のフィールドワークも行っていたので、エスノグラフィというアプローチ自体については知っていたのだが、社会学のような人文系の学問が、企業のビジネスやデザインの仕事にとって役に立つアプローチになるということがまず驚きだった。ビジネス・エスノグラフィについての国際学会 EPIC (Ethnographic Praxis in Industry Conference) に参加したり、アメリカ企業とのパートナーシップ締結などを通じて、エスノグラフィの手法を製品・サービス開発にどう役立てていくかを情報収集した。そしてビジネスの仕組みとして導入するために、社内で仲間を募り、提携企業のサポートを受けながら、掃除機や化粧品などのフィールドワークを行った。

人はどのように家を掃除しているのだろうか? この問いに対する最もシンプルな答えは「掃除機を使う」なんだけれど、細かく説明しようとするととても大変だ。6名程度のお家に半日程度伺って、まず普段どのように掃除をしているかについて話を聞く。そのあと、実際に掃除してもらってその様子を映像撮影しながら観察する。ひと通り掃除が終わったら、掃除中の行動について質問したり、掃除しているときの気持ち、背後にある考え方なども聞く。オフィスに戻った後も、聞いた話のメモを読み返したり、映像を繰り返し見ながら分析し、レポートを作成する。

レポートをまとめるのも大変な作業だが、ただ掃除の仕方を理解するだけでなく、じゃあどんな掃除機を開発すればいいか、そもそもユーザにどんな掃除体験を提供すれば良いかという青図を描き、それを製品やサービスとして開発し、消費者に買ってもらって対価を払ってもらわうことで、初めてビジネスになる。リサーチャーと呼ばれる職種の人たちは調査は得意だが、掃除機を開発するのは技術者やデザイナーだし、それを製品として企画販売するのはマーケターやプロダクトマネージャーと呼ばれる人たち、そして品質工程管理は工場側の担当者がいるので、異なる職種の人たちと一緒に仕事を進め、より良いアイデアを出し、それを現実化していくことはもっと大変。

掃除機や化粧品のフィールドワークを行い、調査だけでなく新製品のアイデアや試作品なども制作することで、エスノグラフィという手法の可能性が見えてきた。それを社内外で発表するうちに、食品会社からの依頼が入り、調味料の商品開発がスタートした。

自宅を訪問して、料理についての話を聞いて、料理の仕方も実際に観察させてもらう。献立ての工夫や、食材調達や保存の方法、家族とのやり取りなどにも話が及ぶ。半日のインタビューはあっという間に時間が過ぎる。帰り際にはなぜか「今日は話を聞いてもらって嬉しかったです、ありがとう、私を忘れないでくださいね」などと感謝される。人の話を聞くってすごく面白いことだと感じたけれど、実は話す相手にとっても貴重な機会なのかもしれない。オフィスに帰って収集した情報を分析し、依頼元の企業と数日かけてワークショップ(ディスカッション)を行い、新しい調味料のアイデアを形にしていく。

物語を収集・分析して、そこから何か新しいものを作って社会に還元していく、という、物語活動家としての私の仕事の原点が、エスノグラフィの仕事にはある。