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What is story

物語という言葉を聞くと多くの人がまず、小説や映画のような作品を思い浮かべるのではないかと思います。作品には時代や場所などの設定があり、登場人物たちが物語の筋書きに従って活躍します。読者や観客は本のページをめくったり、スクリーン上で次々と起こる事件に没頭することで、物語が進行します。

また人によっては、自分の身のまわりの日常生活の中で起きる出来事や、ニュースやワイドショーで報道される事件、歴史や言い伝えといった実世界にまつわる話のことを、物語として思い浮かべるかもしれません。1日が終わって家に帰り、家族に向かって「今日はこんなことがあったよ」と話すような身近なこともまた、私たちにとっては身近な物語です。事実は小説よりも奇なり、という言葉がありますが、私たちはいつも誰かの話を聞き、喜んだり笑ったり、泣いたり悲しんだりしています。

作品としての物語と、私たちの現実社会に基づいた物語。この2つを比べてみると、実は背後に同じような作用や仕組みがあるのではないか、というのが、私が物語という領域に興味を持つ一番の理由です。

作品と現実をつなぐ「物語」という存在、それは私に希望を与えてくれる言葉でもありました。小さい頃から演劇が好きで、高校の時に劇団も立ち上げました。その一方で小さい頃から途上国の貧困問題にも強い関心があり、文化人類学という学問を通じて大学時代に取り組んだ研究テーマにもなりました。領域の異なる2つの関心事を目の前にして、自分は一体何をしたいのだろうと途方に暮れていた20代。そんな私にとって、物語という言葉は、作品としての物語と、現実社会の物語という、自分の2つの関心事をつないでくれるような気がしていました。そして30歳を過ぎた頃、ロンドン芸術大学の大学院コース MA Narrative Environements (物語と生活環境)に留学し、そして今の自分があります。

物語という分野は、演劇、映像、文学、社会学、心理学、哲学など、様々な領域と関連しており、確立された学問体系がありません。そのため、物語という言葉の定義ですら、各分野の研究者や実践者によってそれぞれの解釈がされています。そこでまず、物語という言葉について、私なりの考え方をここで提示しておくことで、私の活動を説明しやすくなったり、様々な方と意見を交わす際の参考になるかなと思っています。各分野で関連しそうな書籍などについても、最後にまとめておきますので、興味のある方は読んでみていただけると嬉しいです。

物語とは何か

物語は、私たちが世界を認識するための手段です。世界は様々な光や形によって成り立っていますが、私たちはそれを「赤」という色や「丸」といった形状で認識するのではなく「りんご」として認識しています。赤くて丸い物体が、歯応えがあって甘味と酸味を含む、ということを私たちは瞬時に理解し、りんごを買ったら今晩のデザートになるかどうかなと考えたり、人によっては、高校時代のりんごにまつわる甘酸っぱい記憶を思い出す場合もあります。

あなたの周囲にあるものを見回して見てください。あなたは、身の回りのものを「色」や「形」だけのものとして認識することができません。書斎にはペンや郵便物があり、リビングにはソファやラグが置かれていて、窓からは青々とした木々や、どんよりと曇った空が見えます。それは「18cmの黒い物体」ではなく「ペン」であり、1度書いたら消えにくいという性質や、そのペンがあなたの息子が友だちからもらってきたものであることまで無意識のうちに思い出してしまいます。

物語は、私たちの生活のありとあらゆるものの中に存在しており、あなたが生まれる前から既に書かれていて、あなたの社会の中で共有されています。その中の一部の個人的な事柄、例えば甘酸っぱいりんごの思い出についての現在の自分の気持ちなどは、あなたの意思で書き換えることができますが、多くのものは歴史や社会や他者から与えられたもので、書き換えることが難しいです。あなたが、今日からペンは消しゴムで消せることにしよう、といって物語を勝手に書き換えることはできません。

でも、実は物語を書き換える方法はあります。今の世の中には「フリクション」という消せるペンの商品があるのをご存知でしょうか。書いた箇所を指で擦っても消えませんが、ゴムで擦って65度以上の摩擦熱を発生させると、そのインクは消えます。あなたがもし「消せるペン」を開発してたくさんの人に使ってもらえれば、「このペンは消せる」という物語が生まれるのです。このように、物語というものは、その人自身の記憶と深く結びつくと同時に、世の中に出回っている商品/サービスや社会制度、価値観と深い関係があります。赤い背景の中央に丸みを帯びた黄色いMの字があったら、フライドポテトを食べたくなったり、健康に悪いから私は行かないなと感じたり、様々な物語が再生されるはずです。

私は製品やサービスを設計するというデザインの仕事を、15年くらい続けています。最初の数年やってみて感じたことは、新しい製品が世の中に浸透するということは、私たちの世界の暮らし方が変わる、生活の物語を書き換えることなんだということです。私がこれまで開発に携わった製品は限られたものですが、この100年で開発されてきた様々な製品の歴史を振り返ると、製品を開発するとは、物語を書き換えることなんだ、と自覚するようになりました。私がデザインの仕事をするとき、リサーチとは物語を収集することであり、設計とは物語を書き換えていくことだと捉えてプロジェクトを進めています。

一方で、世の中には書き換えることのできない物語がたくさんあります。自分がどう足掻いても決して変えられないこと、生まれ育った環境や、偶然の出会い、愛する人の死など、嬉しいことも悲しいことも含まれます。自分の人生は自分で掴み取ったような気がしますが、実際は自分では選択できないことがほとんどで、私たちは自分ではコントロールできない何かの流れのなかで生きているのです。書き換えることのできない物語をどう受け止めるか、それもまた、人が生きる上で重要な課題です。

最初に書いたように、物語は現実世界の決まりごとに囚われない、とても自由なものでもあります。それは実際に起こることのない架空の物語「フィクション」です。ペンで描いたものでも、空想の中では息を吹きかけるだけで消すことができます。心の中で妄想するのは自由ですし、それを文章にして書いたり、人に話すのも自由です。事実に基づいていなくても良いのです。愛する人が死んでしまっても、いつも空の上から見守ってくれていると感じることができれば、生きていたとき以上に、その人を身近に感じられるのです。

物語は何か、という問いにすべて答えるのは難しいのですが、まず今回は、私自身が感じている物語の持つ可能性についてまずは書きました。次回は、物語というキーワードと並んでよく出てくる「ストーリー」「ナラティブ」「シナリオ」という3つの言葉について、書きたいと思います。