ソウルで10日間、ふるまいを観察しながら暮らすことにした
中澤大輔です。The Behaviour Project の活動の一環として、僕が単身でソウルに10日間滞在しながら、人のふるまいを観察し、テキストを書いたり、写真や映像を撮り溜めることにしました。韓国政府が現在はノービザのキャンペーンを行っているので、それに合わせて8月30日、関西空港から単身、仁川空港へ。
仁川空港に到着して飛行機から降りる時点では、韓国人と日本人が混じっている状態。入国へと向かう人の群れを眺めているうちに、この人は韓国の人だろうか、日本の人だろうかと推測する。今このタイミングでは、両国の人の往来にまだ少々制限があるので、長期滞在の人も多いかもしれない。日本在住の韓国人や韓国在住の日本人だと、なかなか当てづらいなと思いながら、観察する。
まず目がいくのが、顔立ち、服装といった見た目だ。それから目線の動かし方や身体の使い方などのふるまいが目に入ってくる。同行者がいると、そのうち会話を始めるので、言語から答え合わせができるが、難しいのは1人の場合である。
やがて人の群れが入国審査に到着する。ここでは韓国人と外国人のレーンが違うので、二手に分かれる。すると韓国人だと思っていた女性が外国人レーンに並び、日本のパスポートをバッグから取り出す。僕が韓国人かなと推測していた女性のソロ旅行者が両方とも日本人だったようだ。
ロンドンに留学していたときやアフリカに旅行に行ったときなど、中国人や韓国人と間違えられることがよくあるが、日中韓の人同士ではちょっとした違いからお互いを見分けられるという印象があった。しかし実際に改めて試してみると、化粧や髪型、目線の動かし方といった些細なヒントからだけだと推測しにくいし、ふるまいも個人の性格に寄るところがあったり、顔かたちの個人差も大きくて、なかなか区別がつかない。
国籍や見た目で人を判断することについて
そもそもの話、国籍や見た目で人を判断するというのは、差別的な行為である。僕はそういうことをなるべく避けるようにしている。出身国が近いから気が合うというわけではないこともよく知っている。僕は家の近くに住んでいる日本人よりも、ロンドンの大学院で同級生だった台湾人やポーランド人との方が気が合うし、話していて楽しい。小学校時代の同級生と、ここ数年でプロジェクトを通じて知り合った60代女性。価値観が近いのは、性別も世代も違う60代の人の方だ。国籍や年齢・性別よりも、これまでどんな人生を送ってきたか、いま何に興味があるかということを理解しようとすることの方が、より人間的な関係性を築くことができる。つまり、どの集団に属しているかよりも、個々人の持つ特徴に目を向けるべきだと、僕は自分自身の経験から、そう信じている。ただそれでも、私たちのありようが「国」という枠組みからは多少なりとも影響を受けていると感じることがある。
なぜ美しいと感じるのか
なぜ自分はそう感じたのか。なぜこの選択をしたのか。少し立ち止まってその原因を振り返ってみると、自分のことは自分で判断しているように見えて、物事のほとんどは、その時代の流れによって決められていると感じることがある。なぜお寿司が好きなのか、なぜネクタイはするがスカートは履かないのか、なぜ自分は男性よりも女性に惹かれるのか、なぜ山を美しいと感じるのか、なぜアーティストとして作品を作りたいのか。違う時代、違う場所に生まれたら、きっと違うものを食べ、違う服を来て、違う人と違うことをしているだろう。自分自身で決めていること、変えられることなんて、ほとんどないのかもしれないと思うと絶望的な気分になることもある。
イギリスに2年間留学していたときの経験は貴重だった。イングランドは産業革命発祥の地であり、大英帝国は20世紀前半に最も繁栄し、現在の世界の仕組みに大きな影響を与えた。現在の覇権国家・アメリカの生みの親でもあり、もともとイングランド地方の一言語だった<イングリッシュ>が今では世界標準となり、新しい単語や言い回しが世界各地で生まれている。僕の現代人としての生活や価値観を考えると、日本人であるということだけでは到底説明できない文脈が僕の中にあり、僕自身にもイギリスの歴史の中に自分と深くつながるルーツがあるように感じた。
自分の中に国家の影響を探す
そうやって、自分の存在の起源を歴史的な視点で確かめようとすると、僕は日本人でもありイギリス人や中国人でもあるとも考えられるのだが、近代化において「国家」という単位が、今の私たちの暮らし方に強い変化を強いてきたという歴史も分かってきた。日本でいえば明治維新以降の政府主導の急速な国づくりによって、士農工商で大きく異なる生活をしていた人たちが同じ教育を受け、日本人らしさを確立していったというようなことだ。
そして現代を生きる自分自身の人格にも、そうした国家の仕組みから、少なかならず影響を受けてしまっている。個人的には、国籍・年齢・性別といった枠組みなんてクソ喰らえと思っているし、そんな窮屈な物差しで判断したくないし判断されたくない、という想いも強くある。国籍なんて関係ない、自分たちがこうありたいと願う未来があるなら、社会をそう変えていけばいいと思う。こうしたこの個人的な「想い」でさえ、僕がこれまで受けてきた学校教育や、現代社会の風潮の影響を受けていて、本当の意味での独立した(インディペンデントな)個人というのは存在しないと思うけど、それでも僕は、自分のこと、そして自分たちが属する社会のことは、なるべく自分たちの意思で決めていきたいと思っている。そのためにはまず、自分が何から影響を受けているのか、なるべく知っておきたいと思った。僕は「国家」という枠組みにどのくらい影響を受けているのだろうか。知らなければ、それを拒否することも逃れることも、自らの意思で作り変えることもできない。
The Behaviour Project について
そんな動機から、2020年に日中韓の3カ国のふるまいを比較するアートプロジェクト、The Behaviour Project を立ち上げた。日中韓3カ国のダンサー各2名ずつ計6名と僕で東京/ソウル/北京の3都市を訪問してふるまいを集め、パフォーマンス作品を作るというプロジェクトだ。僕はイギリスに留学していたから、イギリスと日本を比較するという選択肢もあったのだろうが、一見近そうに見える隣国同士を比較対象とした方が、自分たちのルーツを探るには都合が良いのではないかと考えた。また、この3カ国の近現代史は、第二次世界大戦という複雑な問題を今も抱えたままで、それが現代の私たちの生活や価値観にも大きな影響を与えているにも関わらず、十分な振り返りがされていないし、あまり触れてはならない話題のように扱われている。だから、日本人とは、中国人とは、韓国人とは何だろう、と自らに問いかけるときに、そうした隣人はとても力強いパートナーになるのでは、と考えた。
このプロジェクトは当初、2020年に活動する予定だったが、コロナ禍で国境を超える移動に制約が生じて延期を繰り返し、2022年も準備を進めていたが再延期することになった。本当は3カ国のアーティストが同じ都市に集まって活動したいのだが、それを待っていてはいつまでもプロジェクトが始まらないが、僕1人が移動するのであればもう少しフレキシブルに動けるということで、今回、ソウルに10日間ほど滞在して、こうやってテキストを書いたり写真や映像を撮りながら、少しずつプロジェクトを進めていこうと考えている。
テキストを書いているうちに、プロジェクト立ち上げの動機の話が長くなったので、仁川空港で見かけた人たちの観察の続きについては、次の投稿で続きを書きます。